おしりを出してる人の日記

巨尻の総合エンターテイナー。

至高で思考のハンバーグ

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色んな料理が存在する中で、私が最も真心を感じる料理、それがハンバーグです。

 

ハンバーグの完成までにはそのシンプルな姿とは裏腹に、結構な手間がかかります。「切って焼く」「ぶち込んで煮る」とか、そういう勢いだけでは完成しないのがこのハンバーグという料理なのです。肉の塊かと思いきや炒めた玉ねぎが入っていたり、練り練りして形にしたり、色んなテクニックがギュッと詰まっています。

 

なんだかね、最近思ったんですよ。

 

 

ハンバーグって考える事に似てるなぁって

 

 

ハンバーグって、作り手によって結構違いませんか?その個性があるところまで含めて、なんだか思考はハンバーグだなぁって思ったんです。

 

最近は「思考のクセ」みたいなものについてよく考えています。それをハンバーグの製作工程にして現すとなんか面白いんです。

 

私の思考をハンバーグの工程で考えると次のようになります。

 

①玉ねぎを慎重に細かく切って炒める。弱火でゆっくりだからいつまでも飴色にならない。

 

②お肉と練るのもずーーーっと練ってる。明らかに練りすぎ。

 

③そろそろ飽きてくる。だんだん適当になる。ちなみにこの記事もこのあたりでだんだん適当になる。

 

④不器用だから綺麗な形を作れない。ハンバーグと言うか丸型。配分もミスって形がバラバラ。

 

⑤焼いてる時に形が崩れる。

 

⑥とりあえず完成させるが生焼け。

 

とまぁ、以上のような感じが私の思考のハンバーグかなぁと思います。

 

最近色んな方に会うので、その人達の作るハンバーグを想像し、私の中で色んなハンバーグが出来上がりました。

 

ある人はきっちり四角いハンバーグを作り、またある人は最終的にそぼろが出来上がったり。

 

 

しかし、どのハンバーグもとても味があって素敵です。ただ、私のハンバーグはもうちょっと焼く必要があります。

 

そんなこんなで今日も思考のハンバーグは作られています。

 

たくさんの手間と時間と個性と真心が詰まっている、それは正しく至高のハンバーグなのです。

 

 

《おしまい》

思考を言語化できることは素晴らしい能力

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最近色々なことが重なり、30日続いていたブログ継続日数が途切れてしまいました。

 

それで、私は大事なことを学びました。

 

思考を言語化するのってすごいことなんだな。

 

ショックなことがあり、気持ちが揺さぶられると、まぁ出てこない。アイディアも言葉も出てこない。

 

だから私は今日大事な事を言います。

 

継続してブログを更新できるのはとてもすごいことだぞ!

 

たとえ、毎日更新できなくても文章が書けるのはとてもすごいぞ!

 

みんな胸を張ってほしい。

辛い人もいるだろうし、自身がない人もいると思います。

 

だけども、自分の気持ちや考えを言葉にできることはとてもすごいことなんです。

 

最近グーグルからこのブログを見てくれている方が増えました。有難いですね。楽しんでくれてたら良いな。

 

もうちょっと落ち着いたらまた色々書きたいね!

 

《おしまい》

壁紙のため息

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ひょんなことからライティングのお仕事をいただけることになり、今日ははじめて労働として記事を書きました。それで気付いたのは、私がいかに普段適当なことを垂れ流しているのかということです。

 

普段ここで垂れ流しているものの何倍も気を使って書きました。ライターの人はすごい、さらに顔を出して記事を書いてる人は本当にすごいと思いました。私なんか顔も出してりゃ尻も出してるのに、その重みを感じたことなど一度もないのです。私は赤子でした。

 

今日の私は脳みそのフルマラソン状態です。42.195kmの道のり、それはもう凄まじい疲労。

 

ただ、フルマラソンと違うのは、今日私が寸分も動いていないということです。正直に言うと少しは動きました。

 

環境を変えた方が良いかと思いはじめてコワーキングスペースへ行ったのです。

 

たくさんの人が作業をしていました。

 

静寂のなかでパソコンを叩く音だけが木霊します。

 

そうなると、私はただただこんな妄想を繰り広げるしかないのです。

 

 

 

 

いま、おっぱいって叫んだらどうなるんだろう

 

 

たぶん人々は何も言わずに作業を続けるでしょう。そんな空気でした。私がおもむろに懐からコロッケを取り出して耳を暖めようとその空気は変わらない、そんな予感がしました。

 

そうなると、私の叫びはただただ部屋の壁紙へ吸収されていくのです。壁紙があってよかったなと思いました。壁紙の一番大事な役割は私の「おっぱい」という雄叫びを吸収することだと思いました。

 

ただ、まだ私は雄叫んでないので、彼らは役目を終えていません。あの部屋でまだ待っているかもしれません。

 

私の雄叫びを待ち望んでいるかもしれません。

 

「今日もまた、静かなる静寂を吸収するだけの一日だったな…はぁ…」

 

って静かにため息をついているかもしれません。

 

皆さんの部屋の壁紙はどうでしょうか?

 

私の部屋の壁紙はたくさんの音を吸収しています。この間は深夜に尻を叩きながら歌ってたんでたぶんすごい吸収してました。

 

そんなこんなで、今日は壁紙の役割について再確認する一日でした。

 

《おしまい》

ヘソで沸かしたコミュニケーション

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人と人とが出会うと交流が生まれる。

それは時に目を通し、耳を通し、はたまた時には皮膚を通し様々な手段を介し行われる。それを言葉で表すと《コミュニケーション》といった言葉になるわけだ。

 

コミュニケーションは率直に言うと難しい。

コミュニケーションには正解がない。

台本もカンペも存在しない。

ゲームのように選択形式でもなければ、多くの場合コンティニューはできない。

 

そんな中で、相手の反応や言葉から適切と思わしき言葉や態度を導き出さなければならない。

人によってはコミュニケーションは大きなプレッシャーを感じるだろう。

 

私もその一人だった。

 

私はもともと、内向的かつ極度の怖がりだ。かと思えば時折エキセントリックな行動をとることで不気味さを加速させている人間だ。

 

小学校に入りたての頃は一人でトイレに行けず、一緒に行ける相手も居ないことから先生に付き添ってもらっていた。また、後ろの席の女の子に話しかけたくても出来ず挙げ句の果てに私物に触り不気味に笑うのが精一杯だった。彼女は引いていた

 

そんな私だが、最近は比較的コミュニケーションへのプレッシャーを感じなくなった。はじめて会う人との交流や、体験を楽しめるようになったのだ。

 

それは一体なぜなのか?

 

要因はいくつかありそうだが、その一つに「単純に数をこなしたから」というのは確実にありそうだ。

 

昔は父の転勤で、コロコロ環境が変わる生活だった。そうなると、また1から関係を築いていく必要があり、新しく人と出会う機会が多かった。

 

また、大人になってからは仕事の関係でコミュニケーションが必須だった。人に会う数がとても多い職場であり、最初はとても緊張していたがしばらくすると幾分かマシになった。

 

仕事で緊張感のあるコミュニケーションを体験すると、プライベートでのコミュニケーションは肩の力を抜いてできる楽しいものになった。

 

環境によっては苦手なままになっていたかもしれないコミュニケーションであるが、このように半ば強制的に接してきた事により克服できたのはラッキーなように思う。

 

最近では、自分の言葉で発言して意見を述べるという事が出来るようになってきた。

これは人と自分との境界線を理解したことで、自分の意見を述べることは悪いことではないと思えるようになったからだ。たとえ、意見の相違があったとしても「人は人、自分は自分」と割り切れるようになった。そして、相手の意見も受け止めることができるようになってきた。

 

発言の表現にはとても気を使っている。

誰かを傷つけることが目的の発言になってはいけないと思うからだ。それを考えた上で問題提起をしているつもりだが、最近困ったことが起きはじめた。

 

私にすごく気を使う人が増えたのだ。

 

これはフォロワー数が増えたのも理由だとは思う。発言に力を持ちはじめたのだろう。

 

ただ、私にすぐ謝る人が多いのだ。不快な思いをさせてしまったら謝るのはとても大切ではあるが、それが過剰であることは礼儀正しさではないと私は思う。

 

基本的に、一度発言してしまえば100%の撤回は不可能だ。いくら謝罪しても発言自体が消えるわけではない。

 

そういったことを考え、自分の体験を分析した結果、コミュニケーションは相手との関係と距離感を考えて行う必要があると私は考えた。

 

特に、ネット上では顔が見えない分、内容、言葉遣い、そういったもの全て関係と距離感を考えて行った方が無難だろうと思う。顔が見えないということは、その人のキャラクターもわからないことが多い。相手に自分がどんな人間に見えるか、よく考えた方が良いと思う。

 

とここまで書いて思ったが、なんだかさらに小難しく怖そうになってます?えぇ!?!?

しかも、あんまりわからない!?!?

 

そう、言葉にするのは難しい。

意思の疎通は難しいのだ。ほんの些細な言葉で全てを台無しにしてしまうこともある。最近巷を賑わせる「がっかり」発言はその典型である。

 

 

最後に、本来全然怖い人でもなんでもないことを証明するべく、この言葉で締めさせていただきたいと思います。

 

 

 

 

ウンコ

 

 

《おしまい》

天国へようこそ

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もし天国があるとすれば、それはきっとあたたかく、無償の愛で全てを包み込んでくれるだろう。悲しい出来事から我々を守り、涙を優しく拭ってくれる。喜びを分かちあい、輝く明日へ導いてくれる。

 

 

もし天国があるとすれば。

 

 

いや、もしかすると存在するかもしれない。

 

あたたかく、全てを包みこみ、悲しい涙を拭い、輝く明日へ導く…

 

 

そう、それはまさしく

 

 

「寒い日のふとん」

 

 

だがしかし、時に我々は試されるのだ。

それは過酷な試練。暗闇の中、一人きりで遂行しなければならない。

 

夜中、それは静かに忍び寄る。

突如襲う、下腹部への違和感。

 

そう、それはまさしく

 

 

「尿意」

 

 

私は思うのです。

 

 

「もしかしたら、やり過ごせるかも」

 

大体やり過ごせない。

漏れちゃう、ヤバイ、やり過ごさないで。

 

人間とは弱い生き物だ。

天国に一度入国するとなかなか出国できない。

手続きは簡単。

 

「よっこらしょ」

 

こう言いながら、上体を起こせば良いのだ。

ただそれだけ。

 

 

だが我々は弱い。特に私は弱い。

 

 

「よっこらスヤぁ…」

 

そう、よっこらスヤァしてしまう。

ただし、尿意はずっと尾を引き、浅いまどろみが続くのだ。

 

はやく行け。

 

はやく行ってまえ。

 

よっこらしょしろ!!

 

 

しばしの戦いの後、私は天国に洪水をもたらさぬよう、トイレまでその異常に長く感じる道のりを歩むのだ。

 

そして、尿意から解き放たれ再び天国へと帰ってくる。

 

 

自身の熱の余韻で程よくあたためられたふとんへ。

 

 

出国の時のような手続きはいらない。

私は再び幸せの中へ落ちていくのだ。

 

 

 

《おしまい》

街角のオアシス

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店内に充満するフレッシュな香り。

感じるマイナスイオン。

忙しない囀りを聴きながら、ゆっくり目を閉じる。

 

すると、そこはもう山奥の自然溢れる隠れ家カフェ…

 

 

などということはなく、ここは紛れもなくコンビニ。我々の味方24時間営業のミニストップである。

 

私は今、油でカラッと揚げられたホクホクのポテトをつまみながら、UCCのあったか〜い缶コーヒーを飲んでいる。

 

店内に充満する揚げ物の香り。

感じる蛍光灯の眩しさ。

忙しなく流れるBGMからは、流行りのJポップが流れている。

 

 

ここはオフィス街。

昼時の、人の出入りの激しさを背中で感じながら貪るポテト。最高の背徳感。

 

ミニストップ、ああ、そなたは罪である。

 

なぜそんなにも、揚げ物が美味いのか?

 

スイーツまで尋常無き美味さ。

 

街中を少しばかり探さなければ見つからないところを含めて、そなたを愛している。

 

「近所にもあれば良いのに…鬼通いやで」

 

何度となくそう考えた。

だが、それはもはやミニストップではない。

ほぼストップになってしまう。

やはりミニストップには、ミニストップでいてもらわなければならない。

 

ハロハロの黒蜜きなこが食べたい。

あれはそう、まだ無職になる前。

仕事帰りに立ち寄り食べる、ハロハロ黒蜜きなこ。クタクタに疲れた体にしみる黒蜜とアイスの甘美なる甘さ。

 

ハロハロを食べながら、友人と話した将来のこと。

 

 

「鹿狩りをしてさ、山で生きたいよね」

 

 

…疲れてたよね、2人とも。

今はどうしてるのかな…猟師志望の元同期。

 

そんな疲れた私達を、いつだってミニストップは優しく照らしていた。

 

キャッチコピーは「街角のあなたの憩いの場 ミニストップ」

 

それはまるでオアシスのように、いつでも我々を受け入れてくれる。

バレンタイン泥

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デパートの催事場は、沢山の女性客でごった返していた。黒に赤に華やかなラメの煌き、それらは女性達の熱意を代弁するかのように、ガラスケースの中でギラギラと主張している。

 

「明日バレンタイン泥(でい)なの忘れてた…」

 

今日は2月13日、明日はバレンタイン泥だった。

 

富山しずかは焦っていた。明日がバレンタイン泥なのをすっかり忘れていたのだ。

 

「どうしよう、今から準備して間に合うかな…」

 

催事場の中を歩き回り、あれでもないこれでもないと、お目当てのものを探していた。

 

しばらく探していると、一つの商品が目に飛び込んできた。それはガラスケースの中で一際光り輝いている。

 

「すいません、これ見せて頂けますか?」

 

「かしこまりました」

 

女性スタッフがケースの中からそれを取り出し、富山にそっと手渡した。

 

「わーー!素敵ですねー!」

 

「今年の新作でございます」

 

それは、エナメル調の素材で出来ており、光沢が美しい逸品だった。赤色のボディーに金色のアクセントカラーが美しい。

 

「試着ってできますか?」

 

「はい、可能でございます」

 

富山はそれをそっと顔に装着した。

ピッタリであった。

 

富山はカウンターに備え付けてある鏡を見てみた。

 

そこには、レスラーマスクを付けた自分の姿が映っていた。

 

「サイズもピッタリだし、これにしよう!」

 

富山はレスラーマスクを購入した。

 

バレンタイン泥は女達の戦いだ。

好きな男性を巡り、熾烈な泥試合を繰り広げることからバレンタイン泥と名付けられた。

 

昔は「バレンタインデー」と言って、意中の相手にチョコレートを渡すだけのイベントであったが、時代とともに徐々に激しさが増し、今のスタイルが定着したのだ。

 

「明日はたぶん…京子と直子と戦うことになるわ…」

 

富山は家へ帰り、イメージトレーニングを始めた。それは深夜にまで及んだ。

 

翌日、富山は罵声で目が覚めた。

早くも至る所で試合が始まっているようだ。

 

「さて、行きますか!」

 

富山はレスラーマスクを装着し、太ももを「パァンっ!」と1回叩いた。

 

戦いは職場で始まった。

 

「今日はあんたら2人とも倒して、細山さんに告白するんだから!覚悟しなっ!」

 

戦いは直子の一言で幕を開けた。

 

「かかってこいやぁ!!!」

 

京子と富山は同時にそう叫んだ。

そこからは取っ組み合いの泥試合だ。

 

富山は大きい。

身長は170cm、体重は100kgを超えている。

 

富山は二人にタックルした。

すると2人ともすごい勢いで飛んでいった。

 

細山は3人の上司でなかなかのイケメン、仕事も出来て人望もあつい。細山は狼狽えながら3人を只々見守っていた。

 

「えぇぇええい!!!」

 

3人が雄叫びをあげながら取っ組みあっている。しばらく続いた後、決着がついた。

 

富山は勝ったのだ。

 

富山はマスクを取った。ボサボサになった髪は逆立ち、地獄からの使者と言った言葉がぴったりの様相だった。

 

懐からチョコレートを取り出し、細山に渡した。

 

「細山先輩…!受け取ってください!!」

 

「…ありがとう」

 

富山は嬉しかった。チョコレートを受け取ってもらえたことに舞い上がった。3月14日が心底楽しみだった。

 

そのはずだった。

 

 

「え!?!?細山先輩が出社拒否!?!?」

 

翌日職場は騒然としていた。

細山が出社拒否になってしまったのだ。

 

 

2月15日は日本中の至る所で、同様のケースが相次いでいる。そんなわけで、ホワイトデーのお返しを貰うのはなかなか難しくなりつつあった。

 

「先輩…どうして…」

 

 

 

あれから数年経ったが、富山は今でも細山の復帰を待ち望んでいる。

 

 

《おしまい》