錆びついたサッシと、所々濁った窓がまるでこの世の終わりかのように外の風景を切り取っている。
サッシの額から見えるのは、古びた煙突から吐き出される重い灰色の煙。それはまるで意思を持つかのように、グネグネと形を変えながら長年の汚れで淀んだ空の一部を作り出している。
「とんだ所に来てしまったぞ…」
石田は途方に暮れていた。
そこは工場の片隅、一番日の当たらない薄暗い保管庫だった。
周りの者たちは、各々準備をはじめている。
ある者は体を磨き、ある者は祈りを捧げていた。
今日は節分だ。
今から彼らは鬼を倒しに行く。
正確には、鬼を追い払うための武器となる。
そう、彼らは豆だ。
人間たちは、彼らをぶつけて鬼を追い払うのだ。
彼らの体はとても小さい。体長1cmほどしかなかった。
石田は始めてそれを知った時驚いた。
「あんな小さな体で、鬼を追い払うことができるのか…」
石田はそう思った。
さらに、この地域の鬼は年々強くなってきているという。その噂を聞いて石田は心配になった。
ほかの豆たちが戦いへの準備を進める中、石田はただ佇む事しかできなかった。
「どうしたんですか?」
石田を見かねた一人の豆が、声をかけてきた。
「いや、なんでもないんだ」
石田は動揺を悟られないように答えた。
実のところ、石田は豆ではない。
石田が生まれたのは大豆加工工場勤務の男のへその中だった。
石田はへそのゴマだ。
特大のへそのゴマだ。
ゴマとは名ばかりでゴマですらない。
男が夜勤中にへその掃除を始めたことにより、転げ落ちて豆たちに混入してしまったのだ。
とんでもない事故である。
だが、今はそれどころではない。
石田はただの垢なのだ。
鬼を倒す訓練を受けたことがない。
石田はへそから転げ落ちた時、最初はとても嬉しかった。
感じたことのない感覚だった。
ずっとへそに密着していた体に、初めて風を感じた。
「これが、自由なのか…!!」
石田は生まれて初めて開放感を感じた。
だがその喜びも長くは続かなかった。
「この地域の鬼を追い払いにいく」
それは、今までへそで呑気に暮らしていた石田にとって、なかなか受け入れがたいものだった。
「俺はへそのゴマなんだぞ…一体どうするんだよ…」
そんなわけで、石田はただただ佇む事しかできないでいた。
ビーービーービーーー
突然、工場内に耳を割くようなサイレンが鳴り響いた。石田の鼓動は早くなった、
「もう、来てしまったのか…!」
保管庫に人間たちがなだれ込んで来た。
手当たり次第に豆を袋に詰めて行く。
石田もほかの豆たちと袋に詰められた。
石田の体は他の豆に比べて湿っていた。
汗なのか、その他の何かなのかはわからない。
「鬼が来たぞーーーー!!!!」
人間が叫ぶのが聞こえる。
石田は身構えた。
袋越しに見えた鬼はとても大きかった。
おそらく、体長3mを超えているだろう。
袋に手が入ってきた。
石田は他の豆たちと一緒に握り込まれた。
指の隙間からは豆たちの断末魔が聞こえた。
石田は体が震えていた。
その時はすぐにやってきた。
石田の体は放り出された。
クルクル回転しながら宙を舞った。
非常にゆっくりに感じたが、実際にはなかなかのスピードだった。石田を投げた人間は、野球を嗜んでいたのだ。
「もうだめだ」
そう思った。
石田の体が鬼の顔面にヒットした。
それはちょうど鼻のあたりだった。
「ぎゃああぁぁぁあああ!!!!」
鬼が突然悲鳴をあげた。
「くさいっ!なんだこりあぁぁ!!!」
鬼にぶつかった瞬間、石田の体にヒビが入った。そして、その隙間からはとてつもない悪臭がしていた。
鬼は一目散に駆け出した。
「勝った…のか…?」
石田は負傷した体を引きずって、逃げ帰る鬼を見つめた。
「やったぞーーーー!!!鬼を追い払った!!」
人間たちが歓声を上げている。
他の豆たちが寄ってきた。
「やったな!!お前のおかげだ!!」
豆には鼻がないようだ。
石田は誇らしかった。
そのうち、人間の一人が石田に気付いた。
「ぇえ!?!?くさっ!!
なんだこれ豆じゃないな…!これが原因か!!鬼を倒したのはこいつだ!!」
石田は誇らしかった。
男のへその中では感じた事がない喜びだった。
人間たちは石田を表彰し、石田を工場の一番日の当たる壁へ額に入れて飾った。
それ以降、この地域では節分の鬼払いにチーズをコーティングした豆を使うようになったという。
《おしまい》
今週のお題「わたしの節分」